コラム

昨年“自主トレ”として上海修学旅行に挑戦した皆さんがメンバーが少し変わりましたが今年も修学旅行を決行!

お便りfrom留学生


■談 第二次“修学旅行” (受講生より 2006.1)


登場人物の紹介

   A:(ムードメーカーのひとり。どんな時でも旅を楽しむことのできる人)
   O:(很大方的人。誰とでもすぐに仲良くなれる人)
   K:(今回が初中国。中国語を使ってみたい)
   S:(一行のbPムードメーカー。しかし今回は・・・?)
   X:(前リーダー。今回は仙台からの参加。今でも貫禄十分)
   Y:(私たちの老同学で上海在住。人間的成長が著しい)
   N:(今回の旅の責任者で記録係)

 2004年の11月に同学たちと一緒に「修学旅行」と称してチャレンジングツアーを実施。この「修学旅行」に味を占めた面々、すっかり上機嫌で帰国してから、いくらも経たないうちに「第二次修学旅行」の企画が持ち上がったのです。そして企画段階では様々な目的地が案件として挙がりました。「中国語学習者たる者、やはり首都を見なくては。次は北京だ。」「そう硬くならないでのんびりしようよ。その点、青島はいいよ〜。」「変わったところで日本と昔から縁が深い大連はどう?」「前回は中国大陸に行ったのだから視点を変えて台湾に行くという手もあるでしょ?」などなど。人により要望は異なるもので喧喧諤諤としたものでした。この様に自由に意見交換をするなかで、最大公約数をまとめることが一番難しかったのが、やはり働いている人が多いことから実施日時と旅行期間でした。特に旅行期間を短縮して2泊3日にしなくてはならない状況下では、青島は断念せざるを得ず、北京や大連の場合も現地での時間を多く確保しようとすると、高額な日本の航空便を使わざるを得ないことが調べてゆくうちにわかったのです。このような中で、前回の修学旅行のリーダーで2005年の4月から仙台市に転勤となったXさんからもらったメールが転機となりました。それは「いっそのこと上海再訪という手もあるのでは?」というもの。本人いわく、これは冗談だったらしいのですが、私を含めてこう言われた面々は「ミーハーと言われようとも東方明珠塔に登ったこともない。」「豫園だって中を見学したわけじゃない。」「まだ見ていない上海はたくさんあるよ。」と納得しきり。一転して上海再訪が決定したのです。いままでの議論は何だったのかなあ?と皆が苦笑いです。それにしても前リーダーのXさん、今でも貫禄十分です。今回の旅の参加者は、昨年同様に私ことNとAさん、Oさん、Sさん、Xさん、上海在住のYさんに加えてお隣のクラスからKさんが参加してくださり、総勢7人でした。

 という次第で目的地は再び上海に決定し、今年は新しく開港した中部国際空港からの出発です。集合したときに、扁桃腺が腫れ上がってしまったというSさんが大きなマスクをしていたことが気になりましたが、無事に出発でき、ほどなく上海に到着しました。いよいよ入国手続きです。

 浦東空港の税関は、私にとっては昨年「おまえは韓国人じゃないから。」と言われて入国カードを英語のみならず中国語でも記入することを要求されて並び直しを命じられた因縁の地なのですが、今年はそのようなハプニングはなく順調に通過できました。本来、入国カードは英語でだけ記入すれば問題がないはずなので当たり前と言えば当たり前なのですが、昨年がさんざんだっただけに、ものすごく得した気分でした。他の方も無事に入国手続きを終えましたが、早くも小さなトラブルが発生。何とSさんが履いてきた靴が駄目になってしまい、いまにも靴底が完全に剥がれてしまいそうです。ここでは如何ともしがたいので、まずはホテルを目指し、ホテル到着後に靴を調達することにしました。

 空港からホテルまでの移動はバスを使う手もあったのですが、初中国のKさんのために再びリニアモーターカーに乗り、地下鉄を乗り継いで宿泊先の国際飯店に行きました。上海の変化は早い、とは誰もが認めることですが、この1年の間に地下鉄の切符が変わっていました。それは日本で言う「スイカ」の様でもあり、「ETCカード」の様でもあります。磁気カード式で切符を機械に投入するのではなく、センサーにかざすだけで通行可能な物なのです。さすが上海は国際都市です。色々と進んでいます。

 しかし、ここで小小的問題が発生です。多くのメンバーが無事に改札をくぐる中で、Oさんだけが改札を通過できないのです。切符を何度センサーにかざそうとも、通行可能を意味する緑のランプが点灯せず、不可の赤ランプが点灯します。遮へいバーも当然びくともしません。いつもは温厚なOさんも心なしか「ムッ」とした様子です。
切符に問題があることは明らかなので、駅構内の駅員さんに事情を説明し、遮へいバーを手動で開けてもらって、ようやくOさんも改札を通過しました。その後は何事も順調に進み、地下鉄は無事に私たちを人民広場駅まで運んでくれました。下車後、駅員さんにOさんの切符がおかしくなっていることを伝えて手動で改札の遮へいバーを開けてくれるようにお願いして全員が改札を出られました。ちなみに下車駅では切符をセンサーにかざすのではなく、改札機の中に投入するのですが、こうして回収された切符は、おそらく磁気情報を書き換えて再利用するのでしょう。本当に進んでいるなあ、と感心したのです


 人民広場駅の構内を潜り抜けて無事に宿泊予定の国際飯店に到着し、さっそく登記手続(宿泊手続き)を開始しました。Aさん、Oさん、Kさん、そして私の4人は同時に部屋の予約を申し込みましたので、メールでやりとりした予約確認書を見せて手続きを始めます。後日申し込んだSさんは単独で宿泊手続きを開始します。手続きは順調に進行しましたが、ある事情があって、OさんとKさんにしか鍵を渡せないとのこと。事情の説明を受け、了解したことを伝えて、私とAさんは後ほど鍵を受け取ることにします。そのころ単独で手続きをしていたOさんからこちらに来て欲しいと呼ばれました。聞けば服務員が手続きを進めようとしないそうで、またしても問題発生だ、と言います。服務員さんの説明を聞くと、その内容は先ほど私が聞いた内容と同じものでした。それは、私たちに割り当てる予定の部屋に先日泊まっていた客がチェックアウトした時間が遅く、まだ掃除などが終わっていないこと、そのため部屋に入ることができず、鍵も渡せないこと、これらの事情を納得した上でなければ宿泊手続きをとれないこと、そして、掃除が終わるまでロビーで待ってもらうのは申し訳がないので、荷物は預かるから外に出かけてはどうか、という内容でした。話の内容を了解したことを伝えて手続きを進めてもらいます。こうして全員の宿泊手続きが終わりました。ちなみに国際飯店のチェックアウト期限は正午12時。私たちが到着したのが12時40分頃と早かったからこういうことが起こったのです。それにしても今回の内容は確かにテキストで習った「宿泊手続き」の学習内容を超えています。実践会話では、やはり色々なことがあるものだなあ、と奇妙に感心する瞬間です。

 宿泊手続きが終わってから換銭(両替)です。初中国のKさんは中国語を使う機会到来とはりきっています。結果、無事に両替手続きは終了。去年と比べてすぐに分かったことですが、人民元切り上げの影響で交換レートが悪くなっていること。昨年は1円あたり約12.8元でしたが、今年は1円あたり約15.1元です。円は昨年ほど強くはありません。これから先はどうなってしまうのでしょうか?

 Oさんの部屋に荷物を置いてから早速、Sさんの靴を買いに出かけます。服務員さんが教えてくれた通りに進み、無事に靴屋さんにたどり着くと、皆で討価還価(価格交渉)を開始し、首尾よく新しい靴を手に入れました。

 それから呉江路休閑街で昼食をいただき、その後は皆で上海の繁華街を見て廻りました。特に、メンバーの多くが中国で買いたい、お目当ての本やお目当てのCDがあることから上海の有名な書店街がある福州路では長い時間を過ごしました。私が「上海書城」など上海の有名書店に行って感じたことは、ふたつあります。ひとつは、大型店でお目当てのCDを買うのは意外と難しいのだということ。まず、歌手を見つけるだけでも一苦労でした。というのは、日本のCDショップには歌手のインデックスがあるのですが、それが無いということ。区別は男性歌手、女性歌手という区別と音楽のジャンルくらいです。歌手がどのような順番でならんでいるのかも分かりませんので、隅から隅まで目を通しました。加えて、店頭には新しい物しか置いていないのです。何しろ1年前に発売されたCDは「古い」と言うのですから。中国でなら簡単に中国歌星のCDを好きなだけ買えると思い込んでいたのですが、この考えは甘かったようです。

 もうひとつ感じたことは、情報技術がめざましく発達したのだということ。と言いますのは、上海の大型書店の中国語教材は確かに種類が豊富でしたが、それらの教材の大部分はインターネットなどを通じて見たことがあるもので、こんなものがあるなんて知らなかった、という本は殆どなかったからです。単に見たことがあるだけではなく、そのうちの多くの本はインターネットを通して、あるいは日本国内の中国語書籍専門店で購入して、既に学習したことのある本です。何年か前ならば留学生が使用するような教材を日本にいて購入することはおろか、存在を知ることすら不可能に近かったのでしょうが、今ではそうではなくなっているのです。中国語を学習するには良い時代になっていると実感する瞬間でした。この時の福州路散策で一番満足したのはAさんです。Aさんはここで、お目当ての書道関係の書籍を入手できたからです。その書籍は日本では入手困難で、価格は中国で買うときの10倍以上らしく、全身から嬉しさがこみ上げてくる様子でした。帰国後には書道仲間からとても羨ましがられたという証言をいただきました。

 福州路での買い物を終えた後は、上海在住の老同学のYさんと合流する為に国際飯店に戻り、それから一緒に夕食に出かけました。夕食はお約束の上海蟹で、今年は九江路の成隆行蟹王府です。成隆行蟹王府はここ数年、日本国内の様々なガイドブックに掲載されているお店なのでご存知の方も多いと思います。最近では日本語対応も可能という噂もありましたが、その噂は事実でした。私たちは中国語で注文したのですが、メニューには中国語の他に日本語でも料理名が併記されていて、服務員さんも料理名を聞いて分かる程度には日本語ができる様子です。とりあえず中国語で料理の注文に挑戦してみて、駄目だったら日本語で注文が可能なわけですから、中国語初心者向きのお店であると思います。料理の味もよく、清蒸大閘蟹(上海蟹の姿蒸し)を含めて蟹料理を味わいたいのであれば行ってみても損のないお店だと思います。一年ぶりに再会したYさんとお互いの近況を話し合い、それ以外にも明日行く予定の浦東新区の情報を聞いたりするうちに、瞬く間に時間は過ぎ、食事も終わりました。食事後は九江路から少し足を伸ばして黄浦江の方からライトアップされた外灘の夜景を楽しみました。噂にたがわず綺麗なもので、ミーハ―スポットと言われようとも、やはり良いものです。外灘で夜景を楽しんだ後は、今朝の出発時間が早かったことから、休息したいと希望する方もみえたので、早めに国際飯店に帰ることになり、散会となったのです。

 11月19日。今回の日程のなかで最も行動時間が確保できる日でしたが、この日は朝から小雨が降ったり止んだりを繰り返し、あまり天気が良くありませんでした。午前中に浦東地区に行き東方明珠塔や金茂大廈の眺望も楽しむ予定でしたが、眺望が良くなさそうなので中止しました。また、出発前から扁桃腺を悪くしていたSさんの体調が悪化し、熱を出したこともあって、午前中はAさん、Oさん、Kさんの3名は上海美術館の見学に行き、私はSさんをお見舞いした後、切手やお土産のCDなど個人的に買いたい物を買いに行くことにしたのです。

 午前中の行動予定が定まったことで朝食を食べるために皆で揃って屋台街の呉江路休閑街に出かけました。ここでは満意というお店で豆腐花や油条など中国老百姓の朝食をいただいた他、呉江路休閑街で1、2を競う人気店、小楊生煎包店で上海の小吃、生煎包をいただきました。生煎包は焼いた小龍包のような味わいで、日本の焼き餃子のように底の部分にはこんがりとキツネ色の焼け目がついていますが、中には小龍包と同じように熱々のスープが入っていて、その味わいはまさに絶品です。生煎包は上海の小吃なので他のお店でも食べることはできますし、事実、この旅行中に他のお店でもいただいたのですが、ここ、小楊生煎包店の物は中身のスープの量が多く、味も格別に良いのです。地元の上海っ子が並んでまで買うことにも納得の味で、皆が満足しました。

 呉江路休閑街で朝食をいただいた後は、打ち合せ通り私を除く3名は上海美術館の見学に向かい、私はSさんをお見舞いするために流動食を買いにコンビニに行きました。上海には地元資本のコンビニが何社もあるのですが、私が選んだのは、日系の羅森(ローソンの中国語名)です。日本でおなじみの青い看板にLAWSONというおなじみのロゴがある他、中国語名の羅森の表記もあります。上海のコンビニはどこも店舗が日本のそれよりも小さく、置いてあるものも安いとはいえません。品揃えは日本のものと似たようなもので、予想通り、のどを痛めたSさんでも食べられそうな流動食があったことは幸いでした。
S
さんの体調は熱もあまり高くなく、それほど酷くないのですが、のどの腫れがひどく、固形物が食べられなくなってしまったので、栄養補給には流動食に頼るしかなくなってしまったのです。Sさんが思ったよりは元気な様子にとりあえず一安心しました。

 Sさんをお見舞いした後、私も買い物に出かけました。昨年は時間がなくて、買うことができなかった、三国演義、水滸伝、紅楼夢などの物語シリーズの切手を買い、それから
お目当ての中国語教材を買い込むところまでは順調だったのですが、CDを買うのには、やはり、てこずりました。と言いますのも、大型店ではどこも最新のものしか置いていないことが多く、数年前のCDは根本的に売っていないことが多かったからです。(古いものは売れないから置かない、ということか?)というわけで、道すがら人にCDを売っている所を尋ねながら、片っ端から訪ね歩くことになったのです。かなり苦労しましたが、その苦労もおおよそ報われ、買おうと思っていたCDの大部分を首尾よく入手できました。

  買い物後は国際飯店に戻り、仙台からやって来たXさんと合流して、全員が揃ったところで、タクシーで豫園に向かい、さらに豫園近くの緑波廊酒楼でYさんと合流し、豫園内部を見学。豫園の中国式建築を楽しみました。他に豫園内部には、蔵宝楼茶園という漢方薬としての中国茶のレクチャーをしてくれる施設もあり、説明を聞きながら様々な中国茶を美味しくいただいたのです。

 豫園見学後は待望の夕食です。当初は豫園近くの上海老飯店でいただく予定でしたが、この日は大きな結婚式があり、個室しか空きがなく、使用料金が1,000元かかることから、中止し、南京西路の梅龍鎮酒家で夕食をいただくことにしました。梅龍鎮酒家は日本のガイドブックではあまり見ない名前ですが、Yさんによれば地元のビジネスマンや高級官僚が接待に使うほど味には定評があるのだそうです。実際、ここで食べた料理はすべて美味しいものでした。私にとって最も印象深かったのは、松鼠大黄魚です。純然たる地道的中国菜であり、日本で味わえるものではありませんが、おそらく日本の中華料理が嫌いでなければ、どなたの口にも合うのではないかと思います。ただ、梅龍鎮酒家は高級店なので値段が安くないということと、日本語は一切通じないということには注意が必要ですが。

 夕食後は早い時間でしたが、散会となり、長旅で疲れているXさんと私の二人は国際飯店に戻り、Sさんをお見舞いし、他のメンバーはYさんの案内でマッサージ店に行くことになりました。Yさんに同行したAさんからは上海美術館の最上階にある某レストランで休憩して紅茶をいただいたらしいのですが、そこから見える上海の夜景が絶景であったという感想を聞いています。
 
  一方、国際飯店で再びSさんをお見舞いした私たちは、Sさんの病状があまり酷くないことに安心しながら、ひとしきり話し合いました。Sさんは短大生の娘さんのために上海のご当地ハローキィティグッズを買って帰りたかったとのことですから、明日はこれを買いに行くことにしました。

 11月20日。いよいよ旅行の最終日です。今回は午後のフライトですから時間に少し余裕がありました。朝食をいただき、皆で人民公園を散歩した後は別行動です。私はSさんの娘さんのためにご当地ハローキィティグッズを買いに行き、Xさん、Aさん、Oさん、Kさんは新天地へ遊びに行くことにしました。私の目的地は吉蒂屋専売店というサンリオのハローキィティグッズ販売直営店です。(ハローキティの中国語名は吉蒂猫と言います。)

 吉蒂屋専売店は地下鉄の常熟路駅から徒歩10分くらいの距離なので、国際飯店からも行き易く、簡単に見つかるはずだったのですが、いざ行ってみると、お店のあったビルおよびその周辺の建物が、完全に消滅していて、今はコンパネ(厚手の合板)で囲われていて車の駐車場になっています。コンパネには油性マジックで注意書きがあり、政府の区画整理事業によって、この周辺の建物が立ち退いたことが書かれています。さらに目を凝らすと、移転先が書かれている店もあり、幸いにも吉蒂屋専売店の移転先も天平路245号とありました。肝心の天平路がどこなのか分かりませんでしたが、駐車場で談笑している人に尋ねてみると、幸いにも二駅先の徐家匯駅から近い通りであることがわかりました。早速、徐家匯駅まで行き、首尾よく吉蒂屋専売店を見つけ出せました。ところが店に入ってみてすぐに分かったのですが、吉蒂屋専売店の売りは上海ではなかなか入手できない日本限定のハローキィティグッズを売っていることだったのです。日本限定、岡山限定、静岡限定などの文字が恨めしくさえ見えます。商品をひととおり見てまわったのですが、目的の商品は置いていない様子だったので、念のために売り子さんに「上海の文字が記載された商品はありませんか?」と聞いてみたのですが、「そのような商品はございません。」という返答でした。Sさんの娘さんは、キティグッズの中でもご当地の名前(静岡とか岡山とか)が記載された根付やキーホルダーを集めているらしいのですが、上海版は根本的に存在しないようです。「残念〜。」というどこかのお笑い芸人の決めゼリフが聞こえてきます。

 予期せぬ吉蒂屋専売店の移転もあり、思いのほか時間をとられてしまいあとはホテルに帰るしかなくなってしまいました。ホテルに帰った後はチェックアウトです。心配だったSさんの体調も身動きできないほど酷くはなく、無事に全員の手続きが終わり、その後は国際飯店近くのレストランで昼食をいただき、いよいよお別れです。Aさん、Sさん、Kさん、私の4名はこれで帰国。時間がとれるOさんとXさんはさらに旅を続け、二人で西安に行き、そのあとはそれぞれ敦煌、丹東に行って帰国するのです。

 食事後は国際飯店に戻り、預かってもらっていた荷物を受け取り、浦東空港に行くために車を呼んでもらいます。ほどなく車が到着し、私を含む4人はOさん、Xさんとお別れし、空港に向かいました。帰国手続きも順調に終わり、無事に名古屋に到着。こうして私たちの第二回修学旅行は終わりを告げたのです。
二回目の修学旅行が実現し、無事に終了して感じるのは、今の同学たちとの奇縁。私もそうでしたが、他の方にしても出会った当初は、世代も異なるし、それぞれ異なる生活背景があり、違う時間を過ごしている人同士なのですから全員揃って中国で行く、ということを考えていませんでした。それが今では、この人たちはもしかすると一生の友人なのだろうか?とさえ感じるようになりました。特に仙台に転勤となったXさんと上海在住のYさん。それぞれ、行こうと思えば行ける場所とはいえ、気軽に行くには遠い場所であり、自然消滅してもおかしくない縁だと思うのですが、よく集まれたものだと思います。そして、私たちの間柄は奇縁ではあるけれども、その友誼を大事にする価値があるとも感じています。中国の言葉に『千里共嬋娟』(千里離れていても共に同じ月を愛でよう)という言葉がありますが、この言葉が今の私たちの関係を端的に表していると思います。昨年は、このメンバーが再び揃う機会はあるのだろうか、と思っていたのですが、今回、皆で集まることができて、きっとまた再び会うことができると信じることができるのです。そして再び会うそのときまで、『千里共嬋娟』です。


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